【日本文化大学の前身は室町時代から続く学塾】
日本文化大学の前身は、室町時代に草創された「柏樹書院」で史学や法学などを学ぶ学塾でした。それは昭和時代まで続いていましたが、24代当主の蜷川親継が第二次世界大戦後の西洋かぶれして日本の伝統文化を軽んじているようにみえた当時の日本の姿を憂い、一時「柏樹書院」から離れます。そして、自分はヨーロッパへ留学。日本を変えている西欧の文化がどんなものなのかを確かめに行ったのでしょう。
【建学の父、留学から帰国後に3大学で学ぶ】
帰国後は、我に返ったかのように日本の大学でしっかり勉学に励みます。まずは東京大学で歴史を学び直し、次に日本大学で政治学を専攻します。学びの精神はそこで留まらず、さらに中央大学に進み、法律学を習得しました。3つの大学で学んだ中でも親継が最も習得すべきものは「法律」であると考えたのでしょう。日本文化大学は法学部一本で勝負しています。そして「柏樹書院」に戻った親継は、日本の伝統と叡智と美風を継承し次世代を担う優秀な人材の育成を目的として、「手作り教育」と「少人数教育」を教育方針に日本文化大学の建学に生涯を捧げました。日本文化大学の学生数が少ないのは、24代当主で建学の父である親継の考えによるものです。
【日本文化大学の建学精神】
日本文化大学の建学精神は、礼儀・和敬・正しい道・文化継承の4本柱です。「礼・儀」は読んで字の如く、父母の慈愛や人々のまごころの恩をあたたかく受け止めて、礼と義を尊ぶということです。要するに、目上の人からの恩義を忘れず礼儀をつくしなさいということを説いています。「和・敬」とは、清明和敬の略で清く明るく爽やかな心を養い、和と敬の心を保つことを大切にすべしと言っています。礼儀が目上の人に対する姿勢を表しているのに対し、和敬は横のつながり、現代風にいえば仲間を大事にしなさい、そしてそれぞれの個性を尊重しなさいといったところでしょう。「正しい道」とは、建学精神の「重厚中正」の説明文に含まれているキーワードであり、重みと厚みのある学問を修め、正しい道を明らかにすることがこの大学で学ぶ者の使命ですよと語っています。4本目の建学の柱である「文化継承」も「祖風継承」という建学精神の中に含まれている言葉であり、祖先から受け継いだ文化伝統を守り、さらに発展を図りなさいと説いています。発展するのは良いけれど、日本の伝統文化にも素晴らしいところがたくさんあるのだから、日本文化を継承していくことを忘れてはいけないということです。ヨーロッパに留学したからこそ、外から見た日本の素晴らしさがわかったのでしょう。
【警察官合格率10年連続日本一の実績】
「柏樹書院」24代当主であり、日本文化大学の建学の父でもあった蜷川親継は、1978年に建学したのち1987年に学長を退いていますが、建学精神は今でも立派に息づいています。なんと、日本文化大学は、警察官の合格率が10年連続日本一に輝いています。警察官になるための大学と言っても過言ではありません。正しい道を歩み、礼儀と和敬を大切にする職業であることに間違いありません。